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第一期卒業生 U 現在公立中学体育教師 新風館を卒業してもう六年、時が経つのは本当に早いです。 今自分が先生方と同じ、人を教える立場にいるのだと思うと、 日々その責任の重さを痛感します。 自分の人生は、先生方と出会って本当に変わりました。 それまでの自分は、勉強はじっと座ってやるただの作業だと思ってましたし 「スポーツも頭でやるもんだ」なんて考えたこともなかった。 先生方に教わった「学問」からは最も遠い人間だったと思います。 小学生の頃に大手の進学塾で、そこそこいい成績を取っていたのも良くなかった。 今思うと、自分がドタン場【高校3年の6月】になって新風館に駆け込んだ時、 先生方はよくあんな自分を引き受けてくれたものだと思います。 あのときの自分は勉強なんかを好きこのんでやる人間の気が知れないと思っていましたから、 最初にKと一緒に授業を受けさせられた時のことは忘れられません。 会った瞬間に彼がバリバリの進学校に通っている、自分とは全く住む世界が違う人間 (まさに当時自分が密かに馬鹿にしていたタイプ)だと分かりました。 一つ年下の人間に負けるのはものすごく恥ずかしかったけれども、 自分ができないのは単に今までやってなかったからだと思ってましたし、 彼のことを「どうせガリ勉でつまんない奴なんだろう」という目で見ていたので、 自分が彼と一緒に授業を受けなければならないことを嘆く気持ちのほうが強かった。 ところが、先生は自分たち二人に向かって 「勉強馬鹿も運動馬鹿も何の役にも立たん」とおっしゃった。 あの言葉は自分にとってすごい衝撃でした。Kにとっても同じだったと思います。 でも、今思うと、まだあの時には先生の言葉の意味が本当に分かっていなかった。 もしあの時に、その本当の意味に気づいていたら自分は浪人しなくて済んだのかもしれません。 だけど今は浪人してよかったと思っています。 D大に落ちた時、自分は浪人をしたくないばかりに受かるところならどこでもいいと考えていました。 浪人すると体力の維持が難しいと思っていましたし、一年必死で勉強してみて、 もうこれ以上は無理だとも思っていたからです。 あの時、先生がそういう自分の甘さを見抜いて叱って下さらなかったら今の自分はなかったでしょう。 浪人中には、先生方の勧めもあって大手の予備校にも通ってみました。 けれどもそこに答えはなかった。 確かに授業は面白かったのですが、今は何も残っていません。 あの頃、よく先生に 「どうして自分がわざわざここに来て勉強してるのか分かってるか」 と聞かれましたが、 自分でも予備校に通っていながら新風館にも足を運ぶ理由がよく分からなかった。 「授業がわかりやすいからです」 と馬鹿な返事をして、Kに 「予備校にも授業がうまい先生はいるやろ」 と突っ込まれ、困った記憶があります。 今考えて見れば、先生方は授業中も決して答えをおっしゃらなかった。 いくら時間がかかっても、的確なアドバイスをしながら自分が答えにたどり着くまで待っておられた。 自分が人にものを教える立場になるとその大切さがよくわかります。 答えを言うのは簡単だけど、できるまで待つのは本当に難しい。 それに、そうやって自分でつかみ取ったもの以外は結局自分のものにはならない。 自分は先生にアドバイスをもらって、独りでトレーニングをしてみてそれに気がつきました。 自分に何が欠けていて、どうすればそれを補えるかということが見えるようになっている自分に気がついた。 先生はおっしゃった。 「それが本物の学問だ。自ら問い、自ら学ぶ。 だからほんとは俺達、勉強って言葉は嫌いなんだ。 でも普通の人にそんなこと言っても違いが分からんだろ。 お前だって今まで分かってなかったんだから。」 確かにそうかもしれません。 けれども先生方のなさっていることはいつか多くの人に伝わると信じています。 今も自分にとって新風館で過ごしたあの二年間は大切な財産なのですから。 あの頃の充実感を今度は自分の生徒達にも味わってもらいたい。 それが今の自分の目標です(もちろん体育でですが)。 残念なことに僕たちの世代や今の子供たちは、 そういう充実感を経験したことがない人がすごく多い。 苦しみはないのかもしれないけど本物の楽しさも知らない。 先生方のように自分の全てをかけて叱ってくれる大人もいない。 それはすごく不幸なことだと自分は思うんです。 ですから、自分の先生方に少しでも近づけるように努力したい。 そう思っています。 ※文中の【 】及び、名称のアルファベットは新風館による修正です。 |